アジト
「ただいま・・・」
ドアを閉めて、鍵を閉める。チェーンも忘れずに。
ブーツを投げ捨てるように脱いでリビングに入る。
ひとつため息をついて、明かりをつけた。
「おかえり」
「・・・・いたの」
わたしが言うと彼は口の端をあげた。
驚いてはいけない。驚いたらわたしの負けのような気がするから。
奥の部屋で、柔らかな大きなクッションに体全部をうずめるように寝ている。
クッションに包みきれずに、黒いズボンをはいた足がのびていた。
上には白いシャツに赤いネクタイをして、その上にこれまた真っ黒なベストを着ている。
「もうしばらく来ないと思ってたわ。まだ1ヶ月もたってないんじゃない?」
「28日振りだよ。1ヶ月とも言えるね」
「あっそう」と軽く流すと「つれないね」と言った。
コートをハンガーに掛けながら、横目で彼を見る。
珍しい。傷がない。服も破れてないし、赤い汚れも無い。
いつものように血だか泥だか分からないもので部屋を汚していようなら、急いでバスルームにでも叩き込んだところだけど。
…そんなことに慣れて、いや、慣れさせられたわたしって何なのかしら……。
自嘲気味に笑うと彼が反応した。
「なに?」
「なんでもないわ。それより・・・靴は脱いで」
「あ・・・・ごめん」
彼が靴をそっと素早く脱いだ。
・・・・変なところで素直なんだから。
謝ったり、お礼を言ってもらったりしたいことは、他にいっぱいあるんだけど。
「この1ヶ月、向こうにいたんだ。違和感がなかった」
「外国ってこと?」
「そんなとこだね」
詳しく言う気はないらしい。わかってることだけど。
いつだって何も言わないのだから。必要以上のこと、というようり、必要なことも口にしない。
私は何も彼のことを知らない。
知っていることは、出合った頃から増えることは無い。
そう、2年前のあの日から。
風が強い日だった。
よく覚えていないけど、台風何号が上陸って騒いでて、外はすごいことになっていた。
洗濯物、全部入れたわよね・・・
確認しようとカーテンを開けると、ベランダの隅に彼はいた。
誰かがうずくまっている。
驚いて叫ぼうとした瞬間、ヒュッという鋭い音が聞こえ、
いつのまにか首元に鉄棒を押し付けられていた。
「騒がないで。騒ぐと命は無いよ」
男はかすれた声で囁くと、ゴホゴホと勢いよく咳き込み始めた。
これは・・・血!?
「ちょ、ちょっとあなた大丈夫!!?」
よく見ると体中血だらけで、白いはずのシャツのほとんどが赤くそまっていた。
もとは綺麗な顔立ちであろうに、口の横が青くはれあがっていた。
「大きな声を、出さないでよ・・・」
「そんなこと言ってる場合?はやく上がって!!」
この男が何者なのかとか、どうして血だらけなのかとか、ここはマンションの11階であることとか、
すべてのことが頭から吹き飛んでいた。
わたしは夢中で男を部屋に引き入れバスタブにつっこみ、シャワーで傷口を流した。
思ったより傷は浅かった。だけど、何十箇所もある。血だらけだったのはそのせいだ。
上半身をバスタオルでいそいで拭き、口の中も見るとここは深く切れているようだった。
男はわたしにされるがままになっていた。
「・・・生きてる?」
「う、うう」
苦しいのか、男はよく聞き取れないつぶやきをくり返していた。
不安になって顔をなでると、焼けるほど熱かった。
「・・・熱まであるなんて最低だわ」
急いで雨に濡れたズボンも全部脱がし、適当な大きめのTシャツを着せてベットに寝かせた。
いま思えば、相当すごいことをしたと思う。
見ず知らずの男を女ひとりで着替えまでさせて。
とにかくわたしは必死だったのだと思う。
家にある限りの布団をかぶせ、無理やり水と薬を飲ませる。
傷口にしみるのか、露骨なしかめっ面をしてみせたが水を飲むと落ち着いて寝始めた。
ほっとした途端・・・わたしもベットの隣で寝てしまっていた。
目が覚めると、彼はいなかった。
飲ませた薬のゴミもなく、コップは洗ってあって、血だらけのシャツも消えていた。
一瞬夢かと思ったけど、布団がまだ暖かかった。
嘘みたいな、本当の夜。
その日から忘れようと思っても忘れられなくて、何度もあの男のことを思い出していた。
いったい何だったのだろう、傷だらけだったのはどうして?あのあと彼は大丈夫だったのだろうか。
気になって仕方がなかった。けど、もう二度と会えないと思っていた。
あの不思議な夜から半年後。
いつも通り鍵でドアを開けて家に帰る。ただいまを言ったって、返事もない暗い部屋。
無駄に広い部屋の暗闇は、どこかに繋がっていそうだといつも思っていた。
「ただいま」
ボソリ言うと、部屋の電気がついた。
「おかえり」
え・・・?
自分の目を疑った。目の前にあの男が立っていた。平然とした顔で。
「遅かったね、いつもこんな時間?」
「どうしてあなたがここにいるの?」
「仕事?」
「どうやって入ったのよ」
「一人暮らしにしてはこの部屋大きいよね」
まったくかみ合わない会話で頭がこんがらがる。夢かと思ったが、何度見ても彼はそこにいた。
初めて会ったときの朦朧とした顔とは違う。
口はしを上げた皮肉っぽい笑みを浮かべて、わたしを見下ろしていた。
「貸しをつくったままなのは嫌なんだ」
彼に連れられて台所に行くと、まだ温かそうなシチューが2つ用意してあった。
「なに?あなたが作ったの?」
「これでも料理はできるんだよ」
貸しもなにも、しっかりうちの材料を使ってるじゃないというツッコミはおいて、
とにかくシチューはおいしかった。
誰かと食べる晩御飯も久しぶりだった。
それから彼とわたしの不思議な関係は始まった。
ときどき予告もなしに彼はわたしの家に来る。
その時は大抵体に傷をおっていたり、お腹をすかせていたり・・・
どっちにしろ、困ったときにしか来ないのだけど。
ここはあなたの避難所じゃないのよ、と言うと、違うの?という風に首をかしげられた。
「ここは僕のアジトだから」
「・・・アジト?」
「агитпункт」
平然と言ってまた、あの笑いをしてみせた。
「今日はどうしたの?」
「なに?」
「何かようがあって来たんでしょ?」
「ああ、そうだね」
そう言ったきり話がすすまない。
いつも人の目を真っ直ぐに見る、彼の目が泳いでいる。
でもわたしには問いただす術がない。
「何か食べる?」
「鍋」
「・・・なに?」
「あったかいの、出来てる」
キッチンのホーロー鍋をあけると、美味しそうな香りと湯気が出てきた。
真っ白なシチュー。
「・・これはあなたの得意料理?それともこれしか作れないの?」
「前に美味しいって言ってたからね」
「ありがとう・・食べていい?」
「そりゃそうでしょ」
「・・可愛くない」
わたしがそう言うと、彼がまた口端で笑った。
テーブルの上に、湯気がたつお皿がふたつ。
真っ白なシチュー。
どこかで見たことのある光景。
カチャカチャとスプーンが音をたてた。
向かい合っている彼が、口を開いた。
「君って変だよね・・・」
「な、なによ、急に・・・・」
「普通知らない男を部屋にあげる?一緒にこうやってシチューなんて食べてさ」
「勝手に上がりこんどいてそんなこと言う?わたしからあげたのは最初だけだもの」
「何を言っても言い訳にならないよ。ほんと変だな君は」
「あなたこそ変だわ。どうしてこんな知らない女のところに来るのよ。シチューなんて作っちゃって」
「・・・前言ったでしょ?ここは僕のアジトだから」
「アジトって、子供の秘密基地じゃあるまいし・・・」
「似たようなものかもしれないね」
彼がまた口端で笑った。
「今日はもしかしてそのアジトにシチューを作りに来ただけ?」
「なんとなくだよ」
「なんとなくでシチューまで作る?」
「僕知ってるんだけど」
「何を?」
「君、僕が来ると嬉しいだろ?」
「な・・・!!!」
彼は相変わらずのポーカーフェイスでシチューを食べ続け、大きな人参を口に入れた。
顔をあげてわたしを見た瞬間、驚いて目を見開いたのが分かった。
「・・そんな反応しないでくれる?言ったこっちが恥ずかしいんだけど」
横を向いて怒ったような口調。
わたしは今顔がどれ程赤く熱くなっているのだろう。恥ずかしくて、消えてしまいたい。
「べ、べつに、わたしは・・」
言い返そうとして言葉につまった。もう駄目だ。うまく言い返す方法が思いつかない。
何言ってるのって、さらっと返すことが出来ればよかったのに。
「・・・もう帰るよ。時間がないんだ」
そう言って彼は顔を横に向けたまま立ち上がった。
「えっ・・」
引き留める言葉も出ない。
・・これでもう彼は来てくれない。わたしのこの馬鹿な感情が邪魔をした。
わたしはただ時々寄れる都合の良いアジトの提供者であればよかった。
「さっきの質問の答えだけど」
「・・・何?」
やだ、泣きそう。ここで泣いたらもっと惨めで最低。分かってるのに胸がつまって仕方ない。
「君の顔を見たかっただけ」
「…え?」
「僕が今日、ここに来たわけ」
彼が「分かってると思ってた」と小さな声で付け足した。
「・・何、それ・・馬鹿みたい・・」
「馬鹿みたいって君・・・っ!!」
ずっと横を向いて顔を反らしていた彼がやっとこっちを向いた。
「だって可笑しい・・・」
「・・・。」
「・・・・。」
「・・君は可笑しいと泣くんだね」
「あは・・・」
泣いて力が抜けて座り込んだわたしの傍に彼が座ってくれた。
「強がり」
「お互い様よ・・」
わたしはポロポロと泣き続け彼はわたしの涙を拭い続けた。
帰っても真っ暗な部屋の中、冷たいリビング。
毎日だってあなたがいて明かりが灯っていればと願ってた。
そんな事は絶対に口に出して言えない。言うべきことではないと・・・・・
「、君自身が、僕のアジト。僕が安らげるのは君がいる場所なんだからね」
「はじめて・・」
「ん?」
「名前呼んだの・・」
「そうだっけ?」
しれっとして言う。分かっているくせに。
「君も呼んでよ」
「雲雀・・・」
雲雀が笑った。いつもの口端を上げる笑い方じゃない。
ふわりと柔らかい笑顔だった。
end
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