ジェラシー



「いつも早いんだね。仕事?」
「ええ、タクシーの運転手なの。」
今年に入って1人目の犠牲者は、毎朝通っていたパン屋の店員。
早朝の清潔な空気がよく似合う、黒髪の素朴な人だった。





「もしもし?・・・うん、私よ。チャオ!今大丈夫かしら?」
「次、右折。」

キキーーーッ!
耳に電話を挟んだまま、は器用にハンドルをきってみせた。
二人を乗せた車は危なげもなく裏路地へと滑り込んだが、
バックミラーには相変わらず黒光りする車体が二台、映っている。
舌打ちは電話口の相手に聞こえるので抑えつつ、はさらにアクセルを強く踏み込んだ。

「実は、遠距離の客拾っちゃってね・・・今日の映画には間に合わなさそうなの。ごめんなさい。」
「次は左折。」

ギャッギャッギャッギャギャギャー・・・ッ!!

急な方向転換に悲鳴をあげたのは、、小柄なタイヤだけではなかった。
焦ったような声で問いただしてくる電話口の相手に、なるべく平静を装って語りかける。

「ええっ、まさか!運転中に電話なんかしたらクビよぉ・・・ちょっとごめんね?」

鼓膜を刺すような音量に眉をしかめつつ、はハンドルから一瞬片手を離して電話をシートの間に潜り込ませた。
通話口をしっかり塞いだのを確認し、助手席をキッと睨みつける。

「・・・もっと早く言ってよ!」
「いいから、ほら前。通行人が死ぬよ。」

不機嫌そうだが落ち着き払った同僚・・・雲雀が、バックミラーを無感動に見据えていた。
待っていても、返事どころかこちらの方を見向きもしないのは分かっているので黙って運転(と電話)に戻る。
再度、携帯電話を取り出した自分に呆れたような目が向けられたが、無視した。
今度の彼は、約束を破った時のフォローにうるさいのだ。嫌なら降りろ。

「ハイ、お待たせ。・・・今?ドライブインよ。公衆トイレで客が粘ってて・・・」


横からの声にサイドミラーに目をやると、追跡車から人の腕が伸びているのに気が付いた。
そして、その腕の先には・・・

「雲雀、ハンドル!!」
「いいよ。」
反射的に、座席の横に置いてあったものを掴んで窓から身を乗り出した。
二人の車は急に手を離したせいで蛇行したが、それが幸いした。
相手の一発目は、車のタイヤ横スレスレの地面を掠めたのだ。
一度チャンスがあれば、走行を持ち直した車から相手の車のタイヤと運転手を狙うことは、にとってそう難しいことではない。



パン!


・・・パン!



立て続けに、二発。
乾いた銃声の後に、ガラスの割れる音、凄まじい激突音とヤジウマや通行人の悲鳴。
黒塗りの車が突っ込んだ先に人がいなかったことを確認してから、は、ふぅっと息をついた。


「お見事」
はっと横を見ると、多少無理のある体勢でハンドルを握っていた雲雀に気づく。
助手席から身を乗り出し、片手でハンドルを操っている状況にも血の気が引いたが、何故片手で操作しているかに気づいた時は全身の血が
逆流した。

「私の携帯ぃぃぃぃいいいいい!!」

そういえば、銃に持ち替えた時、自分は通話をきるどころかシートにも捻じ込んでいなかったような気がする。
ホワイトの長方形を雲雀の手からもぎとり、慌てて耳に当てた。


「もしもし!?」



ツー・・・、ツー・・・、ツー・・・



無常な現実、単調な電子音。
彫刻(タイトル『絶望』)のように動きを止めたに、雲雀は淡々と言った。
「安心しなよ、銃声を聞く前に切れたみたいだから。」
「なんで!!ドリフト走行がそんなにまずかった!?」
「知らない。」
返すよ。
そういっていきなりハンドルを放すので、はわたわたとそれを受け取った。
「お・・・っと!危ないなぁ、もう。」
と、言っても後続の追っ手はもういないので、スピードが出ているのと道幅が狭いことを除けば楽なものだ。
余裕で車を操りながら、安心とは別の意味で大きく息を吐いた。

はぅ〜〜・・・。

「あーあ、なんて言い訳しよ・・・」
「正直に話せば?」
心底どうでもよさそうに答える雲雀を、はミラー越しに睨みつけた。

「チャオ、ディオ。実は私、マフィアの一員なの。し・か・も!今をトキメクボンゴレの女幹部よ☆イカスでしょう?
今は仕事の途中なん だけど、追われてる同僚に出くわしちゃって参ったわ!しかも車に乗り込まれちゃって、
今は黒服の男共相手にカーチェイスの真っ最中な の。
上手く逃げ切れたらデートには間に合うから映画館で待ってて(はぁと)って!?」

言えるかボケェッ!!


バッパーーーッ!


クラクションに頭突きをかましたを呆れたように見ていた雲雀だったが、
バックミラーに目をやった瞬間、表情を引き締めた。
「後ろから一台来てる。」
「も〜・・・知らない。」
「じゃ、降りるんだね。」
きみと心中はごめんだ。

「私だって!!」

その日、は行きつけのパン屋を一軒失った。









「君、どこの学生?」
「学生じゃないわ。派遣会社で仕事をしているの。」

2人目は、オペラの勉強のために留学しているというフランス人学生。
殺気を帯びた目で睨まれて、カフェの椅子から転げ落ちた。
「邪魔なんだけど」
「ひ・・・っ!?」
邪魔とは何だ。恋人同士の憩いの時間に乱入してきやがって、お前が邪魔だ。さっさと失せろ。

・・・と、ここまで言えとは言わないが、せめて立って逃げては欲しかった。
尻餅の体勢で器用に後ずさっていく彼に「また明日ね」と手を振り、前を向く。
真昼のカフェが死ぬほど似合わない同僚が、我が物顔で相席をぶんどっていた。

「何の用よ?」
「仕事。」
「・・・ああ、そうですか。」
それ以外に何がある、と言わんばかりに言い捨てると、雲雀は怖々と様子をうかがっていたウエイトレスを呼びつけた。

「エスプレッソ。」
「・・・・・・カプチーノにしときなさい。」
困惑するウェイトレスを尻目に、とりあえずカルシウムの摂取を促してみた。
何も今じゃなくても、とか、事前に連絡してくれれば、とかは言うだけ無駄なことなのだ。
ちなみに、オペラ歌手の卵はそれっきりカフェには来ていない。







「うちで働かないか?ここよりは稼げる。」
「あなたのせいでここが破産した時には、お願いします。」

3人目は、ボンゴレのカジノでディーラーの仕事をしていた時に知り合った、アメリカ人の自称実業家。
見るからに強欲そうな双眸は、何故か私に目をとめたらしい。
破格のチップと名刺は最初に、その後はほぼ毎日のように花束とプレゼントが職場宛に届いた。
肥え太った豚のような親父なら速やかに焼却処分だが、鷹のように鋭い目と引き締まった体躯、
それに洗練されたセンスが加わっている男 ならば話は別だ。
それに、強欲な男は職業柄嫌いじゃない。
なけなしのプロ意識で、仕事の期間が終了してから名刺の裏に書かれていた電話番号に連絡を取った。

『・・・・・・この電話番号は、現在使われておりません』

彼は、事務所を引き払っていた。
横領だか、収賄だか、不倫だか・・・とにかく、何かやらかしてそれが暴露されたらしい。
密告者の名前は、わからない。








「君は、仕事は何をしてるの?」
「OLよ。商社の経理課に勤めてるの。」

今年に入ってから4人目の恋人は、才能のあるイタリア人の建築士だった。
同じスポーツジムに通っていた私を彼が食事に誘ったのがきっかけで、
帰りの車の中で交際を申し込まれたので、一日考えてから承諾した。
歳は30代半ば程で、誰が見てもハンサムな顔、文句の付けようのない紳士。
自分の才能と容貌と出身大学を随分と鼻にかけていたが、そこを褒めれば会話に困らないのが楽だった。
知的な会話、観劇、コンサート、車で送り迎え、花束、夜景の見えるレストラン・・・
彼との付き合いはおおむね退屈でそこそこ楽しく、全く問題なく続いていた。

付き合って一ヶ月になる日に、自宅の一つであるアパートへ、食事に招待するまでは。


ガチャッ。

?」


ああ、終わったな。

ため息を押し殺しながら、はそう思った。
いったん蒼白になった顔が次第に真っ赤に染まってゆくのをみる限り、彼も同意見とみて間違いはない。
恋人を自宅に招待した日に、別の男が上半身裸で出迎えれば大抵の人はそうだ。

「おかえり、。」
しかも、「おかえり」ときた上にファーストネームで呼び捨て。
ご丁寧に、普段二人だけの時では使わないイタリア語で言ってきやがった。
完璧な嫌がらせだ。ちくしょう、兄弟はいないなんて言うんじゃなかった。

贈られた花束をギリギリと握りつぶしながら睨み付けたが、雲雀はそれにニヤリとも返さず、そこで初めての背後にいる人物に気づいたような素振りで口を開いた。

「誰?」

君こそ誰だ!
違うのよ。彼は私の従兄弟で・・・。
彼女の同僚だよ。
・・同じ会社に勤めてる従兄弟なの。
・・・もうたくさんだ。こんな侮辱は初めてだ!
もう帰るの?
ちょっと黙ってて雲雀!あっ、ちょっと・・・


ぶー・・・。


元恋人のポルシェが完全に見えなくなるのを見送り、はがくりと肩を落とした。
雲雀は腕を組みながらポルシェの去った方向を見ていたが、やがてがっくりとうなだれているのつむじに目線をうつすと、細い肩をポン、と叩いて言った。
「・・・まあ、お気の毒さま。」
「そうね、思いっきりお気の毒よ!!」

バシッ!

手を払うついでに形の崩れた薔薇の花束を雲雀に叩きつけ、は彼を押しのけながら中へと足を踏み入れた。
いっそこのまま外に叩き出してやりたかったが、自分の力では到底無理な話だ。
ああ、腹の立つ。

「なんで家にいるのよ!」
「行くってメール入れたはずだけど。」
「来るなって言ったわよね?彼氏が来るって。」
「ああ、見てなかった。」
スラックスのポケットから携帯を取り出し、わざとらしく「ほんとだ、きてる。」と呟く。

「十八秒で返信したのになんで見ないのよ!?」
バシィッ!
怒り任せにバッグを投げつけたが、手に持ったままの花束で防がれた。
薔薇がつぶれる、リボンが乱れる、雲雀が顔を顰める・・・頭痛がする。
床に花弁が散ったのを見て、掃除するのは誰なのかを考えると急に疲労が襲ってきた。

ああ、何をやっているんだろう。

ぐったりとソファーに座り込み、華奢なヒールのパンプスを壁に叩きつける様にして脱ぐ。
嫌いだ、こんな靴は。
雲雀が当然のように隣に座ったが、それを咎める気力は無かった。
「・・・・・・。」
ピッ!
家主に断りも無くテレビを付けられたが、それすらどうでもよかった。
「・・・・・・・・・。」
カシュッ!
いつの間にか、勝手に冷蔵庫からビールまで取り出して飲んでいる。
「・・・・・・よこしなさい。」
腹が立つのでそれは奪った。
ぐぐっと一口二口あおり、テレビに目を向ける。
いつも見ているニュースではないが、頼んでも替えてもらえないことは分かっていたので黙って目を向けた。

『7時のニュースです。本日未明、シチリア州ラグーザで発見された遺体の身元が確認されました。・・・』

「っていうか、なんで裸なのよ?」
「・・・剥かれてたなんて言ってないけど?」
「いや、死体じゃなくて、あんたが。」
「ああ、シャワー借りたよ。」
「借りてから言ってどうす・・・ああはいはい、どういたしまして!ビール返してよ。もう一本取って来ればいいでしょう?」

『遺体は地元マフィアの○○ファミリー幹部、アロルド=カロージオ氏、49歳。』

「で、それも嫌がらせ?」
結局、ビールは再び雲雀に奪い取られ、席を立つ気力のないができることは恨みがましくそれを見つめるだけだった。
「何が?」
飲み口に付いたルージュを親指でぬぐい、雲雀はビールに口をつけた。
飲んでいる間も、はもとよりニュースにも目を向けようとしない。
はニュースを見ている。(このキャスター、ヅラかもしんない。分け目とか怪しい。)
目は正面に向けたまま、雲雀がビールを飲み終えるのを気配でさぐり、話しかける。




























嘘。













テレビ画面を良く見ていれば、ビール缶から口を離した雲雀が写っているのが見えるのだ。

「だって、いつもは来て早々シャワーなんて浴びないじゃない。」
あれはインパクトが強すぎた。
あれさえなければまだ弁解の余地はあったかもしれない。
イタリアで誠実な恋人見つけるのがどんなに大変か、とぼやくと、雲雀は呆れているような視線を画面越しに向けてきた。



『カロージオ氏は頭部を鈍器のようなもので潰されており、死因は出血多量によるショック死と見受けられます。』



「今日は汚れ仕事だったんだよ。」
あそこで尻尾巻いて逃げ帰るような男、さっさと追い払えたことに感謝してほしいぐらいだね。


『なお、現場付近で凶器は発見されず、警察による地元市民への聞き込みの結果、
犯人らしき人物の目撃情報もありませんでした。』


「ふーん。」
ごもっとも。


『警察はこの一件をマフィア同士の利権争いによる殺人事件と想定し、犯人の特定と凶器の捜索を急いでいます。』
『ここで、スポーツニュースです。来年のサッカーワールドカップに向け・・・』


ブチ。

テレビの電源を消すと、は立ち上がって伸びをした。

「さーて、夕飯にしますか。食べてく?」
「メニューは?」
「カレーと野菜スティック。」
「・・・まあ、いいけど。」
雲雀はなにか言いたいことがるようだが、食いっぱぐれるのを懸念してか口をつぐんだ。
本当はビーフシチューとフレンチサラダのつもりだったが、ゲストが変わった以上、相手の嗜好に合わせる義務は無い。
なに、上等の肉とブーケガルニを使った上に、それらを一晩煮込んだスープで作るカレーも十分美味しいはず。
問題はない。
鍋に買い置きのルーを投げ込みながら、今日が二人分の食材を用意してある日で幸運だったな、とは思った。

「雲雀、お皿出して。で、いい加減服着たら?」










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