歯をくいしばって




「大っ嫌いだ」

 机に手をついて椅子から立ち上がり、机に突っ伏した時に床へと落とした書類を一枚一枚拾っていく。そんなに枚数は無かったから直ぐに終わりそうだ。
 それでもやっぱり面倒臭い。書類関連は落とした自分が悪いのだけど。

 目の前にいるこいつ。見ているだけで腹立たしい。
 校舎内で見かける物とは違う制服。胸の校章バッチには“黒”と書いてある。確か黒曜中の制服だったはず。
 蒼い髪に特徴的な髪型。右目には六の文字に血のような深い赤、左目は元々の色なのか、右目とは対照的な澄んだ青。それに日光を浴びた事の無いような白い肌。
 六道骸。嘗て僕を倒した男だ。
 ついさっきここに来ては、意味の分からない質問を繰り返している。先程の「大っ嫌い」とは、骸が僕に「僕の事は嫌いですか?」なんて分かりきった質問をしてきたから仕方なく答えた言葉だ。
 そんな骸は応接室の真ん中にあるソファに勝手に腰掛けている。早く出ていけと強く念じるが、その動作からして、直ぐに帰るつもりはないのだろう。全く、嫌な客を招き入れてしまった。

「僕は雲雀くんの事、好きですよ」

 コンマ数秒の停止。書類を拾おうと腰を屈めて腕を伸ばした状態のまま固まる。
 ……こいつ、今何て言った?
 頭の中で一番重要な言葉二文字が反復する。
 やばい、情報処理が追い付かない。
 何か言わなきゃ、と思い、震える唇を無理矢理動かした。

「ふぅん。頭おかしいんじゃないの」

 予想以上の強がった返答は、言葉とは裏腹に声が掠れてしまった。それでも固まった体をなんとか動かし、平然な振りを装った。書類拾いを再開させる。

「クフフ……そうかもしれませんね」

 少し皺になった書類を手に持ち、骸の目の前を通り過ぎようとした瞬間。膝がガクリと崩れ、半ば転ぶようにソファに尻餅をついた。突然の事に雲雀は目をパチクリさせる。
 我に返った雲雀が状況を察しようと辺りを見回した時、自分の腕を掴む骸の手が目に入った。犯人はこいつか。
 苛々が頂点にまで達した雲雀は自分の愛武器を構えようとするが、いつも常備してある筈のそれは、腕を掴んでいない方の骸の手によって高く掲げられている。

「ちょっと、離して。あと返してよ、それ」

 身長差的に届く筈がないと悟った雲雀は、骸の腕を振り払い、肩によじ登る。
 骸はバランスを多少崩しながらも、空中で両手を使い、雲雀に奪われないようにと意地悪く避け続ける。

「嫌です。返したら容赦なく攻撃してくるでしょう?」

 やけになった雲雀は、靴のままソファに登り、トンファー目掛けて骸に飛びかかる。ソファが汚れる事など気にしていないようだ。
 対する骸は倒れそうになる体を手を後ろ側について何とか支え、雲雀の攻撃を避ける。どうやら骸の選択肢の中に、トンファーを返すという選択肢はないようだ。

「雲雀くん、あ、暴れないで下さ、い……!」

 手加減など忘れた雲雀が、骸を支えている腕を押して、わざとバランスを崩させた。
 だが骸は、間一髪のところでトンファーを握る手とすり替え、跳ね返す勢いで手をつく。その所為か、ソファの反動で今度は前につんのめり、雲雀諸ともソファに倒れ込む形となった。

「いきなり何……」

「……す、すみません」

 トンファーが音を立てて床に落ちた。
 腹部が寒いな、と視線を下にやるとシャツの裾が捲れている。直そうと思うが、今の状況を考えて、手が伸ばせない。
 骸の目が、数センチ前にある。
 顔の両脇に骸の腕があって、別に肩を掴まれてるとか押さえつけられているとかそういう体勢じゃないのに、体が強張って動けない。
 骸の長い前髪が雲雀の額に落ちる。くすぐったいのか、雲雀は少しだけ体を動かした。二人分の体重を乗せたソファが軋む。

「……どいてよ」

「……嫌です」

 ムカつく。なんで嫌だと言われなくちゃいけないんだ。

「ふざけるのも大概にし、んっ」

 怒りに任せて出た言葉は、最後まで紡げなかった。雲雀の唇が、骸の唇によって塞がれる。一瞬の軽い口付けでも、雲雀には物凄い衝撃だった。
 何度か瞬きをし、雲雀は自分がされた事をやっと理解したのか、頬が朱色に染まっていく。羞恥心が募り、骸から視線を外した。未だ感触の残る唇に手の甲を押し当てる。
 骸は自分のした行為がわかっているのかいないのか、視線を宙に漂わせていた。双方違ったオッドアイが右へ左へと揺れる。伏せ目がちな目が困惑の色を映し出していた。
 何度か視線を漂わせた後、体勢を崩すでもなく、骸は閉じていた唇を開いた。

「僕は雲雀くんが……本当に、好きなんです」

 声音が震えている。骸の泣きそうな声に、雲雀は再び骸に視線を合わせた。心無しか表情が曇っているように見える。
 なんでそんなに、泣きそうな顔なの。
 雲雀の心中での問い掛けは、意味を成さなかった。
 唇をきゅ、と引き締めると、怖ず怖ずと雲雀は手を動かし、開いたり握ったりを繰り返す。

「……?」

 その仕草に気付いた骸がわけがわからないと言うように小首を傾げた時、雲雀は手を握り締め、骸の脇腹に叩き付けた。
 不意打ち。
 骸は少し遅れて床に転げ落ちる。相当痛かったのだろうか。声にならない悲鳴をあげて、うずくまっている。
 並盛最強の威厳を取り戻した雲雀は、骸と対象的に立ち上がり、落ちていたトンファーを拾い上げた。机の上にトンファーを置き、大した距離もないのだが、うずくまる骸に近付く。
 容赦なく骸の胸ぐらを掴み、雲雀は強制的に骸を立ち上がらせた。顔をしかめる骸の目に、今にも切れそうな雲雀の表情が映る。

「君は……分かってないみたいだね」

 と、不意に雲雀は骸を掴んでいる手とは反対側の手を振り上げ、骸の頬を平手で叩いた。ドラマさながらのいい音が鳴る。

「じゃあね」

 掴んでいた手を離すと、骸は膝から床に崩れ落ちた。叩かれた頬が白い肌に赤く強調されている。崩れ落ちた反動で骸が我に返ると、雲雀はもう歩き出していた。
 なんと言えば良いか迷っている骸をよそに、雲雀は書類を片手に身を翻して、さっさと出口へと向かう。

「まっ、……」

 骸の言葉より先に、扉が強く閉められた。





 応接室のドアに背中を預け、そのままずるずると座り込む。廊下に触れた部分がひんやりと冷たかったが、直ぐに自分の熱によって冷たさが消えた。
 足を投げ出して暫く呆然としていると、直射日光を受けている顔に影が差した。

「委員長! 大丈夫ですか?」

 声音からして、校内を巡回していたであろう草壁だった。自分より遥かに長身である草壁は僕の横に跪くが、座り込んだとしても雲雀より背丈がある。少し見上げる事になる視線が、アイツを思い出して嫌になった。
 いや、その前にこんな姿を見られた事事態も失態だ。

「……別に何もないよ。今日はもう帰っていいから。他の奴にも伝えておいて」

 言い訳用に持ってきた書類を持って立ち上がり、早く立ち去りたい一心で雲雀は草壁に背を向ける。

「は、はぁ……」

 後ろから草壁の溜め息混じりな返事が聞こえた。いつもなら咬み殺す対象内だが、そんな気にもなれない。
 ふらつく足をなんとか動かし、雲雀は廊下の角を曲がった。一段一段階段を降りていく。骸を叩いた左手が熱い、触れられた唇が熱い。お陰で頭までクラクラする。
 アイツに言われた『好き』という単語だけが脳内を支配していた。
 好き? 骸が僕を本気で? ありえない。あれは只の悪戯か悪巧みだ。きっと応接室に戻れば、嘘ですよ、なんて言うんだろう。
 勝手な空想を自分の脳に焼き付ける。そうでもしないと、心臓が痛くて呼吸すら出来なくなりそうだったから。





 行きは長いと感じていた職員室までの道のりは、帰りは早く感じた。実際は同じ距離なのだけど。
 扉に耳を密着させると、微かな音が聞こえる。まだアイツはいるみたいだ。
 煩い心臓を落ち着かせる為に大きく息を吸って、小刻みに震える手でドアノブを握った。扉の開く音が、いつもより鮮明に聞こえる。

「――っひ、雲雀くん! なんで、」

 開けた瞬間に見えた骸は、ただ窓から外をつまらなさそうに眺めていて、雲雀が入ってきた瞬間に素早く後ろを振り向いた。
 叫ぶ骸の言葉を遮って、雲雀はその動作一つ一つを否定する。

「うるさい、黙れ、後ろ向け、動くな」

 雲雀の反抗に引けを取った骸は、仕方ないと言った表情で命令に従う。
 一方雲雀は、欠けるのでは無いかという程に奥歯を食いしばって骸の元へと歩みを進める。途中、強く食いしばり過ぎたのか歯軋りが鳴った。その音に骸が肩をびくつかせる。
 骸の真後ろまで来た雲雀は、人差し指を骸の背中に当てた。

「な、何する気ですか……?」

「一回しかやらないからね」

 雲雀は背中に当てた指を滑らせていく。骸は何も言わずに、雲雀の指が紡ぐものを考えていた。
 やがて人差し指の動きが止まり、終わったと言うように背中を指で一叩きする。

「雲雀くん、それって……!」

 嬉しそうな声音が響き、骸の片方の目が後ろにいる雲雀の視線とぶつかりそうになる。

「ま、まだ振り向くなっ」

 慌てた雲雀が骸の体を押し戻し、目を強く瞑った。そのまま勢いにまかせ、骸の背中に抱き付く。腹部に腕を回してしがみつき、背中に顔を押し付ける。

「――!」

 突然の出来事に、骸の体が強張った。外を眺めていた目が大きく見開かれる。

「……僕だって、骸の事が好きだったんだよ」

 自分の口からこんな言葉が出るなんて、なんとも滑稽だと雲雀は思った。それでも言った言葉に偽りはない。

「だって雲雀くん、僕の事嫌いって……」

「そうだよ、大嫌いだ」

 明らかに矛盾している言葉に、骸は首を傾げた。

「では何故……?」

「別にいいだろ。君も僕が好きで、僕も君が好き、それ以上にまだ欲しいものでもある?」

 暫しの静寂。
 雲雀は顔に集まる熱をどうにか逃がそうと、先程から骸に顔を押し付けている。
 その度に骸を締め付ける腕を、骸はそっと引き離した。そしてくるりと雲雀の方を向く。

「……あり、ます」

 赤くなっている顔を見られたくない雲雀は俯いていて、骸と視線が合わない。
 骸は微かに髪の隙間から見える雲雀の耳が赤くなっているのを見て、顔を綻ばせた。
 雲雀を引き寄せ、今度は正面から雲雀を抱き締める。いつもは強気な雲雀も、今は体を縮こませ、骸の胸に大人しく抱かれていた。

「雲雀くんが、欲しいです」

「……我が儘だね、君も僕も」

 遠回しに同じだと言うことが伝わったのか否か、雲雀には分からなかったが、骸が嬉しそうに笑ったのを見て、雲雀も自然と頬が緩んだ。

 (回した手で背中に辿る、好きの文字)

 そんなよく晴れた、休日の出来事。



end.



あとがき。
やっと完成しました!
読んで下さった皆さん、有難う御座います^^
こんなヘボい文の癖に長ったらしくてすみません。本当は最も長かったんですが、余りの長さにウンザリして泣く泣く削除……(´;ω;`)
兎に角、自分なり精一杯頑張った作品なんで、読んで下さった皆さまの心に何かしら残ればいいなぁーと思っております。
それでは此処までのお付き合い有難う御座いました。
サイトは骸雲文中心に活動中です。
冷罵 桐斗




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