愛しいひと




あなたは何も、変わらない。
否、変わったのかも、しれないけれど。
あなたは何も、変わらない。
少なくとも、俺にとっては。


はぁ、と息を吐くと白く染まった。
もうそろそろ、あの遠い国では桜の季節なのだけど、朝夕の温度は未だ、低い。
気休めに手を擦り合わせてみたけれど、一瞬生まれた熱はすぐに消え去る。
ああ、やっぱりコートを着てくるべきだったか、なんて今更な後悔だ。
こんな日はいつもにまして、あなたが恋しくなる。
宵の口の街角には、ちらりちらりとカップルの姿。
何度目かになる知らない女からの誘いを断ったところで、ようやくあなたの姿が見えた。
いつもどおりの黒いスーツとコートに、誰のセレクトかしらないけれど、深紅のネクタイ。
長い後ろ髪が灯り始めた街灯の優しい明かりの下で、ふわりと翻る。

「ランボ!」
「ボナセーラ、ドン・ボンゴレ」

にっこり笑ったあなたの顔を見る前に、一瞬の我慢。
深く深く(なるべく気取ったポーズで)あなたにおじぎを。
我慢した分だけ、あなたの笑顔が愛しくなることを、良く知っている。
顔を上げれば予想通り、頬を紅潮させて笑うあなたがいた。
染まった頬の理由は走ってきたからなのか、俺と会ったからなのか。
(とりあえず、都合の良いように解釈をしておく)

「ごめん、待たせて。寒かったろ?」
「いえ、平気ですよ。あなたに会えると思えば、寒さなんて!」

ぎゅ、と抱き締めても、あなたは笑みを湛えたまま俺の背中に腕を回すだけ。
その理由は子供扱いしているのか、俺と同じ気持ちなのか。
(やっぱり、都合の良いように解釈をする)
こうやって街角で抱き合ってるふたりの姿は、果たして恋人のように見えるのだろうか、なんて。
ちらちらと視線を感じながらも、今だけの腕の温もりを強く噛み締めた。

「それで、どうしても会いたい用事って何だい?」
「今夜は夕食はご一緒できますか、ボンゴレ?」
「うーん、この後はディーノさんとの会食があるんだ。だから、」

ごめんね、と困ったように笑って続けようとしたのを、あなたの唇に指先でそっと触れることで止める。
そんな話は聞きたくないし、仕方のないことだ。
このひとは、とても人気者で。
数多の誘いが、いつもこのひとを取り巻いている。
ましてや、兄と慕っているキャッバローネのボスの誘いと、ただの弱小マフィアのヒットマンの誘いを比べるなんて。
(ナンセンスだ)

「いいですよ、謝らなくて」
「他の日に必ず、埋め合わせするから」
「ええ、楽しみにしてますよ」

あの、出会った十年前から。
俺の身長はあなたを越えて、あなたをこうして抱き締めることが出来るようになったけれど。
あなたという存在は、どんどんどんどん、遠ざかるようだ。
そんなことを口にしたら、このひとが困ってしまうことは承知してるから、決して口にはしないけれど。
そう、何時までも子供じゃいられない。

ずっと、子供でいたいという想いと。
(ずっとずっと、あなたから無償の愛を)
もっと、大人になりたいという想いと。
(もっともっと、あなたの近くにいたい)

せめぎあう想いは、いったいどちらが強いのか。

「それで、今夜お呼びしたのは、」
「うん」

にこり、とあなたは笑みを貼り付けたまま。
穏やかな笑み。
大好きな。
ゆっくりゆっくり、周囲は夕方の色を失って、夜の顔を見せてくる。
客引き女や、怪しげな男たち。
そんな中で、あなたの存在は誰よりも闇に沈んでいながら、誰よりも優しいのだ。
(きっとそれが、このひとが人を惹き付けて止まない、所以)

「あなたに、プレゼントを渡したくて」
「プレゼント?」

大事に大事に、胸ポケットに忍ばせた、小さな箱を。
ビロードとかそんな上等な装丁じゃなくて、ただの安箱。
それでも、あなたはきっと喜んでくれる。
宝箱を開くみたいにそっと開いて、あなたの小さな掌の上へ載せた。

「あなたがずっと、あなたのままでいられますように」

少しだけ目を見開いた後、あなたはどこか泣きそうに笑ってありがとうと言った。
箱の中には、銀のチェーンネックレス。
チェーンの先についた、銀色のプレート。
それを見てあなたは、さらに泣きそうに顔を歪めて笑った。

「ありがとう、ランボ」

あなたはいつか言っていたから。
闇に染まって、自分は変わったに違いないと。
そして、それを厭わしく思わない自分がいるのだと。
そんな自分が、たまらなく、嫌だと。

とても、とても、泣きそうな顔をして、言っていたから。

どんなに、あなたはあなたのままだと、俺がそう言っても。
ただ哀しそうに首をふって。
諦めにも似た表情で笑う、あなたがとても、悲しくて。
(愛しくて)


「大切にしていただけたら、光栄です」
「もちろんだよ」

そう言って、あなたはまた、泣きそうに笑った。
そうして、別れの抱擁をして、遠ざかるあなたを見送る。
少し離れたところで控えていた部下に対してみせた顔は、「ドン・ボンゴレ」。
慈悲深く、そして誰よりも気高いマフィアのボス。
(そしてそれが、あなたを苦しめるのか)


はぁ、と息を吐くと白く染まった。
もうそろそろ、暖かくなってもいいはずなのに。
街角はもう、夜の装い。
こんな日はいつもにまして、あなたが恋しくなるんだ。

わざと、着てこなかったコート。
何時もの様に大きくあけた胸元に光る銀色と、プレート。
揃いのそれに、あなたは気付いてくれたのだろうか。


プレートには、あなたの好むあの国の言葉で、ふたつの言葉を。

あなたのそれには 「あなたはいつもあなたのままで」
俺のそれには    「いつでもあなたを慕っています」


あなたのありがとうは単なる贈り物に対してか、それも揃いのそれに対してか。
(そうしてまた、都合の良いように解釈を)


大きく、白い息を吐いて。
あなたの愛する、夜の街へと消えていく。






END



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