愛のしるし




暦の上では春といっても、吹きつける風や感じる気温はまだまだ春とは言い難い。
俺が思い浮かべる春というのは、温かい太陽の元で心地よい春風に蝶々も踊る、そん な――。



―――まだまだコートは必要だ。












何かの気配を感じてふいに家のベッドで目覚めると、ぼんやりとした明りの中でリボーンの端正な顔が目の前に飛び込んできた。
毎日毎晩鍵を閉めてもなんなく侵入を果たすリボーンは、時々こうやって深夜に寝こみを襲いに来たりする。
ランボは今日も寝ぼけた頭で反応が遅れ、噛みつくようなキスを容易に受け入れることになってしまった。
「んん」
押し付けられる唇に無意識に顎を引く。
それを引き戻すリボーンの手。
首の後ろに当てられた掌がとても冷たくて、ランボは一瞬身をすくめた。
二人の体重を支えた安っぽいスプリングが、リボーンのほんの小さな動きに対してもキシキシと悲鳴を上げる。

「……リボー…」
リボーンは舌の侵入角度を変えながら、お堅く締めていたネクタイをシュルリと片手で取り去った。


だが。


「…おい」


唐突にランボの手が伸びたかと思うと、そのまま顔を拒むように押し返されリボーンは首を仰け反らせる羽目になった。
「何のつもりだ」
頬をぐいぐいと押してくる手を荒荒しく捕らえて捨てる。
「いたっ。乱暴にしないでよ」
「どっちがだ」
ランボの突然のストップにキスを中断させたリボーンだったが、不愉快そうに眉を吊り上げるのも忘れない。
しかし、そんな不機嫌なオーラも今のランボには届かないようだ。
「寝惚けてんじゃねーよアホ牛が。家畜は大人しく飼主に従っとけ」
「うわ、酷い」
「本当のことだろ。……おい、どこ行く」
「キッチ…ふぁあ」
ランボは大きく欠伸をしながらリボーンとベッドの隙間からスルリと抜け出し、おぼつかない足取りでふらふらと台所へと向かった。
「おい」
その背中にリボーンは苛立ちのこもった声でランボを呼ぶが、返事をするのも気だるそうなうめき声が聞こえるだけで、ランボはこちらを振り向こうとはしない。
「……」
いつもならここでリボーンは1発2発殴ってでも自らの性欲に忠実であり続けようとするのだが、今日は違った。
ランボのことは、あまりにも気持ちよさそうにベッドで寝ていたものだからそれを邪魔してやろうと襲っただけだ。
今日は拒まれようと拒まれまいとヤツとするつもりは一切なかった。
もし万が一、ランボが勝手にのってきたら放置プレイに即移行しようと考えていたくらいに。
だからまぁ、こういう結果でも別に『今日』は構わない。


しかし、性欲が疲労に負けるとは。
「…歳か」
まだ20代前半にしてコレか、とそうひとりごちて暫くシーツの白を見つめていたが、やがて無言でベッドに横になると皺がよった枕を引き寄せた。
「……」
その時、ボボッというガスの着火音が聞こえた。
続いて重い鉄をそれに乗せるガチャリという不快な音。

煩い。

はあと小さくため息をついて、乱れた前髪をかきあげた。

「――」
眠い。




「リボーン、もうすぐできるから寝ないで待っててよね」

夢の小路に引きこまれそうになっていた頭が呼び戻され、リボーンは顔だけをむくりと上げる。
こちらを振り向いてもいないランボに思考を読まれるとは。
リボーンは嫌そうに眉を顰めた。

「……」

何ができるのかは知らないが、待ってやる義理もない。

今日はいつになく疲れたんだ。

珍しいだろ?


「リボーン?」
「……5分だ」

珍しいついでに、


「5分待っててやる」



布団にくるまって、そう返事をした。












「この家には電子レンジがあっただろ」
リボーンはビーフシチューを味わったスプーンでランボを指した。
真夜中の晩餐はとても静かで、二人の会話以外は果物屋の親父が運転する古ぼけた車のガス欠の音や、近くにある市場の活気ある喧騒などは聞こえてこない。
唯一あるのは、リボーンの鳴らす食器の音とランボが用意したコーヒーの抽出音だけ。
「おい」
「あ、うん、ある」
まだ半分も眠気が覚めていないらしいランボは、一拍置いてから、ほらそこに、と自分の背後を振り返った。
キッチンの横にある、日本製の電子レンジ。
半年ほど前、ツナが気まぐれにくれたものだった。
「配線は繋いだか?」
「もちろん、来た日に即刻」
「使い方は?」
「…バカじゃないんだからさ」
日本にいたころよく使ってた。
だから操作はお手のものだと言うランボにリボーンは疑問を投げかけた。

「レンジの方が早くて、しかも簡単なのに」

――なぜ、わざわざコンロに火をつけて温める必要が?


ランボもその問いに目を数回瞬いた。


――なぜ、そんな質問を?

「…今日はなんだかおかしいね」

「いつも通りなはずだがな」
「まあ、疲れてるんだろ。仕事もほどほどにしなよ」
ランボはコーヒーを啜りながらやれやれ、と肩をすくめた。

「…質問の答えだけど、――レンジでチンなんて美味しくないだろ?」
「……」

「人の手でゆっくりと芯から温めたシチューのほうがきっと美味しい」

コーヒーは?と聞かれ、いらないと返した。

「…それが理由か?」

「それが理由さ」

暫く無言で、火の通し直されたビーフシチューを口に運んだ。





「これで少しは体も温まっただろ?」


寒空の中、帰ってきた年下のヒットマンに。




――お疲れさま

労いを。








何てことのない温もりに、ふと感じた、『なに』かの証(しるし)。


















    終.


お題に戻る